
不夜城と呼ぶのがふさわしいくらいに、夜の島からは灯が消えることはなかった。二四時間操業だから炭鉱施設は休むこともなく働き続ける。
そこに働く人と送り出す家の灯があった。
派手さはないが裸電球は温もりのある灯である。
この一つひとつに家庭があり家族がいるのだった。
島から出かけて夜に帰ってくると、島のあちらこちらから漏れる灯に、ほっとするような安心感があって、船が桟橋に近づくにつれて、こんどは人々の声が漏れ聞こえてくるような気がしていた。
当時、高島から夜の端島を見たことはあったが、住宅がある西側正面からの島全体は、船上からでしか見ることはできなかったために、私はその位置から一度も夜の島を見ることはできなかった。さぞ明るく活気に満ちて、一軒一軒の窓の灯から話し声までが聞こえてくるほどであったろうと想像できるのである。
野母崎方面から見る島とは、まったく違う表情を見せていたことだろう。
現在は閉山後に立てられた灯台の明かりがあるだけである。夜になれば灯台の明かりだけで島の姿は夜の闇に消えている。当時は灯台の役目までしていたこの島の灯が、すべて消えて三〇年近く経ってしまったが、ここをライトアップしようという計画があったらしい。しかし私たちが求めている灯は、ライトアップの、見せるためだけの灯ではなく、家族や家庭がともすほのかな裸電球のやさしい灯である。しかし、それを求めることはもう無理なことである。あの灯を取り戻すことができなくとも、われわれの心の中には、あの島の灯は思い出として残っている。灯が消えても、この島が果たしてきた日本近代化への役割や、多くの人たちが暮らしていた歴史の一ページは、社会から消さないでほしいと願うのである。
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この写真は夜の端島の写真の中でも、
特に灯りが美しく写っている写真ですね。
学校にも灯りがかなり点いているのを見ると、
まだそんなに遅くない時間でしょうか。
昭和という時代の食卓の音が、
聞こえてくるようです。
Trackbackさせて頂きました。
「お気に入りリンク」にある
長崎チャンポンのお店<Monks's Table>は、
次回訪崎の際に寄らせてもらおうと思っています。
こちらのブログへのご返信、ありがとうございました。
今日の写真、泣けてきます。なぜなのでしょう?
なぜ、直接関係のない私が??
軍艦島に住まわれていた方の発信、これからもお訪ねしますので、どうぞ長く続けてくださいね。
今後ともよろしくおねがいします。
ねこ拝
ブログへのコメントありがとうございました。
『昔の軍艦島(端島)の夜は不夜城のようでしたよ。』
この写真を見るとまるで自分が住んでたかのように想像してしまいます。
なんというか懐かしい感じがしてきて
自分でも良く分からないんですが…
また、寄らせて貰いたいと思います。